時短勤務終了とライフワークバランスの変化と葛藤
先日末っ子が3歳の誕生日を迎えたので時短勤務が終了しました
短時間勤務制度とは、子育てや介護などを理由にフルタイムで働くことが難しくなった人たちをサポートするために、育児・介護休業法の改正によって各事業主に義務付けたものです
フルタイムに戻り、就業時間が2時間増えることになりました
ここで仕事というルーチンの時間が2時間増えた分、自分の時間や家族の時間が2時間削られてしまい、苦しく感じているところがありました
「やめる時間術」で家族時間・自分時間を1時間でも取り戻すため、試行錯誤しているところです
そんなとき、Voicyパーソナリティのしゅうへいさんの放送が響きましので
今日はその放送の要点とわたしの葛藤について書いていきたいと思います
放送はこちらです
仏教とワークライフバランス。 | しゅうへい|Live Like A Cat「猫のように生きてみるラジオ」/ Voicy - 音声プラットフォーム
しゅうへいさんの放送のもとになっている中田敦彦さんのYouTube動画はこちらです
【仕事と家庭の両立】中田家はどうしてる? - YouTube
しゅうへいさんのVoicyの刺さったポイントは3つ
・仕事と家庭の適量はわからない
・完璧や正解はない
・レジリエンスが大切
・仕事と家庭の適量はわからない
コーヒーやビール、食事の適量は自分でわかる人が多いと思います
でも、仕事や家庭の適量はわからない
わかる人は過去の偉人も含め誰ひとりいない
子供の年齢や性格、家族の関係などの状況により適切なバランスは異なります
仕事を頑張ることは家族にとって良いことなのか?それとも良くないことなのか?
世間的に成功している人でさえ適量はわからず葛藤しているのが現実です
Voicyを聞いて改めて
わたしが仕事をすることは家庭のためになっているのか、不安に感じていることに気づきました
子供との大切な時間を削って仕事の時間に当てているように感じるからです
それは本当にわたしが望んでいることなのか?
仕事自体は好きですが、仕事時間が増えて子供との時間や自分時間が減るのは本当に求めていることなのか?
時短勤務だったため、6時間の中で8時間分の仕事ができるよう生産性をあげてきたつもりです
終業時間が8時間になり、6時間でできていた仕事にプラスして2時間分の仕事が追加されることになりました
生産性を高めた意味がなかったのではないかと思ってしまいます
仕事と家庭の適量、サラリーマンとして時間の切り売りをしていると8時間という拘束時間がつきまといます
時短勤務終了により仕事時間が増え、新たな仕事と家庭の適量を探しています
・完璧や正解はない
どんなに仕事で成功しても、家庭のために時間を費やしてもそれが完璧という状態になることはありません
家族と向き合えているのか、もっとできることがあるのではないか、どこまでも「もっと」がつきまといます
自分とパートナー、自分と子供などバランスは一人一人違います
家庭のバランスは一人のバランスではないため、その時々(ライフステージなど)でバランスのとり方は変化し続けます
そしてどれだけ努力しても改善点は常に残り続けるのです
しゅうへいさんは桜の満開に例え、「完璧に満開の桜なんてない」と話していました
全ての桜の花ひとつひとつが一斉に満開になることなどありえません
「満開」といわれる中にもどこか咲いていない蕾の花があったり、散ってしまった花があったりするのです
「欠けているところがない」なんてことはありえないのです
とても勇気づけられた点でした
「満開」を目指していました
満開なんてない、完璧なバランスなんてないのだから日々の変化の中で少しずつ修正しながら自分の「満開っぽい状態」=「ちょうどいい」を探していけばいいのだと思いました
だからこそ
・レジリエンスが大切
レジリエンス(resilience)とは、「回復力」「弾性(しなやかさ)」を意味する英単語です
しゅうへいさんは弥次郎兵衛に例えていました
感情は揺れるものです
揺れていい、揺れるのが通常です
揺れながらバランスをとることが大切で、しなやかに揺れながら自分と自分の家族に合ったバランスを探し続けることが必要なのです
時短勤務終了で時間配分が大きく変化した今、わたしの感情とライフワークバランス大きく揺れている状態です
それでいいのだと思わせてもらえました
揺れながらわたしと家族にとっての「適量」を探し続けます