息をしているだけで幸せ、という感性
今日は日曜日
北風が冷たい1日だったので家族でのんびり過ごしました
Three Good Thingsを毎日書いている理由について夫に話した時の一言
「息をしているだけで幸せだって思うから、今日もなにもできなかったって考えたことはないな」
わたしは、毎日家事・育児・仕事に追われる中「今日もなにもできなかった」と思いながら眠りにつく日が多かったので、
Three Good Thingsを書き始めました
「息をしているだけで幸せ」
わたしはできないことばかりに目が向いて、
息をしていることは当然のことと気づきもしませんでした
でも、本当は今ここに生きていることは奇跡であり1秒後も生きている保障はない
しかも、今家族がいて仕事があって家があって「今日もなにもできなかった」なんて考える余裕がある
それこそ満たされている証拠なのかもしれません
戦争の時代やモノのなかった時代では今日生きているだけで幸せ、という感覚があった人は多かったのかもしれません
でも、今はひとつ目標をクリアしたとしても次の目標があり
いつになっても山頂が見えない登山のようにも感じることがあります
夫から「今日もなにもできなかったって思うことは、支えてくれている多くの人や子供たちに失礼なことなんじゃない?」と言われ、ハッとしました
皆そうだと思いますが一人で生きている人はいません
半径1m以内の家族から、顔をみることもできない生活するためのモノを作ってくれた「誰か」まで、
わたしの生活は多くの人のおかげで成り立っています
「できなかった」を探せば毎日数えきれないほどたくさんあります
でも「できなかったこと」をみるのではなく
「できたこと」を感じていきたいですね
今日も朝起きることができた
暖かい家の中で子供と一緒に過ごせた
本当に幸せなことです
「息をしているだけで幸せ」
心から思えるよう
感謝を忘れずに過ごしていきたい
少しでも苦しい方へ届きますように…